50歳で突然“妹”ができた日。そして、人生の不思議
まさか――。
50歳を過ぎてから、
「実は妹がいます」
という展開が待っているとは、人生なかなか読めません。
しかも、沖縄でルーツ探しをしていたら突然発覚。
ドラマなら「設定盛りすぎ」と言われそうですが、全部実話です。
どうやら父は、私が1歳の時に家を出た後、新しい家族を持っていたようでした。
そして、その家族は沖縄へ。
沖縄の親戚とも交流があったのです。
つまり私は、知らないうちに“沖縄の親戚ネットワーク”の一員だったわけです。
人生、知らないことだらけ。
空港で康彰さんが言いました。
「じゃあ、結華ちゃんに電話するから話してみる?」
いやいやいやいや。
待ってください。
こちらも混乱してます。
突然、
「あなたには異母兄弟がいます」
と言われて、即電話できるほど、人間そんなにメンタル強くありません。
しかも相手にも生活がある。
家庭もある。
突然現れた“知らない兄”が、吉と出るか凶と出るか分からない。
完全に“人生ガチャ”状態です。
そこで私はお願いしました。
「まずは事情を説明してください。その上で、会いたいと言ってくれるなら…」
大分へ戻ってしばらくすると、康彰さんから連絡。
「結華ちゃん、話してみたいって」
おお…。
ここまで来たら、逃げるわけにはいきません。
私は手紙を書くことにしました。
これまでの経緯。
なぜルーツを探していたのか。
沖縄まで辿り着いた理由。
そして、“今の自分”を知ってもらうために、以前テレビ出演した番組のビデオテープまで同封。
今の若い人には分からないでしょうが、
当時は「ビデオを送る」が最大級の自己紹介だったのです。
しばらくして、結華さんから電話がありました。
「一度、会いたいです」
こうしてゴールデンウィーク。
結華さんが、大分の我が家へ来てくれました。
人生初対面の妹。
なんとも不思議な瞬間です。
「はじめまして」
兄妹なのに、“はじめまして”。
普通に考えると変なのですが、でもその空気はどこか自然でした。
話を聞いていくうちに、彼女もまた、父の記憶がないことを知りました。
実は、彼女が生まれて間もない頃、父は病気で急死していたのです。
私と結華さんは10歳違い。
私が「父が亡くなった」と聞かされた頃、彼女はまだ赤ん坊。
つまり――
兄妹なのに、二人とも父を知らない。
なんとも不思議な共通点でした。
結華さんは、ずっと財布の中に父の写真を入れていたそうです。
そして私から送られてきたビデオを見た時――
そこに映る私の顔が、父にそっくりだった。
それを見て、涙が止まらなくなったと言います。
「だから、会いたくなった」
その言葉を聞いた時、私も胸に込み上げるものがありました。
血の繋がりというのは、不思議です。
会ったことがなくても、時間が空いていても、どこかでちゃんと繋がっている。
そして、彼女との会話の中で、私は初めて知ることになります。
なぜ父は、1歳の私を残して家を出たのか。
母は、一度も父を悪く言いませんでした。
だから私は、何も知らないまま大人になった。
でも、父側の話を聞くことで、
「ああ、父にも父なりの事情があったんだな」
と、初めて思えたのです。
もちろん、それで全部が理解できるわけではありません。
でも、“知らなかった人生”が少しずつ繋がっていく感覚がありました。
それから20年。
結華とは時々会いながら交流が続きました。
けれど今年――
彼女は、父と同じように突然亡くなってしまいました。
人生は、本当にわからない。
出会いも突然なら、別れも突然です。
それでも、沖縄の親戚たちとの交流は今も続いています。
また沖縄へ行こうと思っています。
あの土地には、“知らなかった自分”が今も残っている気がするのです。
それにしても――
最初に会うことが出来た康政叔父さんも、翌年、高齢で亡くなっています。
「一瞬早からず、一瞬遅からず。」
この言葉は、日本の著名な哲学者・教育者である森信三(もり のぶぞう)氏の有名な言葉です。
「人間は一生のうち、出逢うべき人には必ず出逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」 って意味です。

もう少し、遅い時期だったら、康政叔父さんんも居られなくなり、
もっと、早い時期だったら、結華も家事に追われて余裕が無く、会うことが出来なかったと思います。
まさに、「一瞬早からず、一瞬遅からず。」
人生って、本当に不可思議ですね。


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