そもそも、何故竹細工をしているのか?(その7)〜先生になったら、生徒は人生の大先輩でした〜

そもそも、何故竹細工をしているのか?シリーズ

〜先生になったら、生徒は人生の大先輩でした〜

気がつけば、

「広島県県立竹原職業訓練校竹工芸課講師」

……なんとも長い肩書を持つことになりました(笑)

入校式の日。
慣れない背広を着て、少し緊張しながら会場へ。

目の前にいるのは――

55歳から65歳の人生の大先輩たち、25名。

当時の私は30歳。
ちょうど「親世代」です。

気さくな方もいれば、渋い職人気質の方、
とてもチャーミングな奥様もいて、実に個性豊か。

この25人を――

一人で教える。

……なかなかのプレッシャーです(笑)

当時、こんな感じで教えていました。

この竹工芸課、すでに7年目を迎えており、私は7回生から13回生まで、なんと7年間担当することになります。

生徒さんは皆さん、竹に触れるのは初めて。

ですから、難しい技術を押しつけるのではなく、

・一人ひとりの手元をよく見る
・つまずいているところを見つける
・そっと手を添える

そんな“寄り添う指導”が基本でした。

ただし――

授業が終われば、立場は逆転。

人生経験では、完全にこちらが“生徒”。

いろんな話を聞かせてもらったり、時には助けてもらったり。

「教える」と「教わる」が、いい具合に混ざり合う時間でした。

さて、半年間とはいえ、竹原で生活する家も必要です。

最初は市役所が用意してくれた、ちょっとコンパクトな家。

「まあこんなものか」と住んでいたところに――

ひょっこり現れたのが、級長の中坊さん。

「いい家があるよ」

と紹介してくれたのが、少し離れた場所にある立派な一軒家。

これがまた良い家で、そのままお引っ越し。

しかもその家、生徒さんの持ち家。

「空いてるから使いなさい」と、なんともありがたい話です。

中坊さんとは、その後も30年近いお付き合い。
ご縁というのは、本当に不思議です。

20年ほどしたのち、広島三越での展示会に来てくれました。

学校では、自分の持っているものを全部出すつもりで指導しました。

その結果――

教えた生徒さんの中から、広島県美展に入選する方も。

これはやっぱり、嬉しい出来事でした。

そんなこんなで、7年間。

生活はというと――

秋になると広島へ、春になると大分へ。

まるで渡り鳥のような二重生活です(笑)

最初は身軽でよかったのですが、

4年目に結婚、翌年には長男誕生。

一人 → 二人 → 三人。

……引っ越しの難易度、どんどん上がります。

そして7年目。

翌年には長男の幼稚園入園のタイミング、さらに次の子どもも生まれる予定。

いろいろ考えた結果、

竹原での講師生活に区切りをつけることにしました。

広島県竹原市。

今では、私にとって“第三のふるさと”のような場所です。

訓練校そのものは無くなってしまいましたが、竹の同好会は今も活動を続け、多くの方が竹細工を楽しんでいます。

私の結婚式に、わざわざフェリーに乗って来てくれた竹原の生徒さんたち

当時の生徒さんの多くはすでに亡くなられましたが、その技術と想いは、しっかり次の世代へ。

そして今も、後輩の皆さんと交流が続いています。

さて、ここまで来てようやく――

物語は現在へ近づいてきます。

次回からは、いよいよ今住んでいる大分県での暮らしのお話です。

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