〜母の置き土産は、なかなかヘビーでした〜
今回からは、母方のルーツについて書いていこうと思います。
…とは言っても、私は名古屋の母の実家で長く暮らしていましたので、母方の親戚とは昔からベッタリのお付き合い。
今さら「ルーツ探し」というほど神秘的な話でもありません。
むしろ、
「あぁ、この叔父さん、また飲み過ぎてるな」
とか、
「この叔母さん、相変わらず声が大きいな」
とか、そんな生活感満載の親戚ワールドの中で育ってきました。
母、94歳まで頑張る

母は2022年11月、94歳で亡くなりました。
世間でよく聞くような「遺産相続争い!」みたいな話はありません。
そもそも、揉めるほどの財産が無い。
ある意味、平和です。
我が家の家族構成をざっくり書くと、
- 父:私が10歳の時に突然死
- 姉:3歳年上
- 兄弟:以上、二人だけ
父は当時、「ぽっくり病」と言われていました。
今ならたぶん、
「いや、それ心筋梗塞か脳溢血では?」
と言われるやつです。
昭和って、ざっくりしていました。
姉と母、毎日がバトル
姉は一度結婚し、息子を授かりましたが3年で離婚。
その後は実家へ戻り、母と同居していました。
ところがこの二人、なかなか相性がよろしくない。
ある日、母が突然、
「姉がお金を取る!」
と言い出したのです。
そこから母娘バトルが開幕。
今思えば、それが認知症の始まりだったのでしょう。
83歳の時、母はアルツハイマー病と診断されました。
少しずつ記憶が薄れ、介護保険を利用し、デイサービスへ通い、やがて介護施設へ。
母のお金の管理は、なぜか九州に住む私の担当になりました。
遠距離経理部長です。
当時は、
- 実家の土地と家 → 姉
- 残った現金 → 私
そんな感じで、何となく家族の中で話がまとまっていました。
ところが人生、そう簡単には進みません。
2018年12月、突然の電話
ある日、甥っ子の啓一から電話が。
「お母さんが死にました」
…いやいや、待て待て待て。
頭が一瞬フリーズしました。
姉は実家で一人暮らしをしていたのですが、連絡が取れず家へ行ったところ、居間で倒れていたそうです。
突然死なので司法解剖へ。
すると甥っ子が、
「明日、葬式しようと思う」
と言う。
いや、こっちは九州なんですが!
新幹線でも数時間かかるんですが!
しかも親戚への連絡もしないといけない。
「せめて一日待ってくれ…!」
ということで、お通夜を一日延ばしてもらいました。
そして、もう一つの訃報
母は7人兄弟。
私は叔父叔母たちに連絡を入れて回っていました。
ところが、一人だけ何度電話しても出ない叔父がいる。
「おかしいなぁ…」
と思っていたら、後から理由が判明。
なんと、その叔父も姉と同じ日に亡くなっていたのです。
これはもう、偶然にしても出来すぎです。
姉のお通夜は18時から。
叔父のお通夜は19時から。
しかも車で30分の距離。
結果どうなったか。
親族一同、
「じゃ、次行きますか」
みたいな空気で大移動。
あまりの慌ただしさに、
「これ、ギャグ漫画なら編集者にボツ食らうレベルだな」
と思いました。
コロナ禍、そして母の旅立ち
その後、母は介護施設で暮らしていました。
私は九州在住なので、頻繁には会えません。
出張のついでに年3〜4回顔を出す程度でした。
そして世の中はコロナ禍へ。
面会制限もあり、なかなか思うように会えない日々。
姉が亡くなって約3年後、母も病院で静かに息を引き取りました。
長いようで、あっという間だった気もします。
ただ振り返ると、母は最後まで、なかなか強烈な「置き土産」を残してくれたなぁ…と思います。
つづく


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