ルーツを訪ねて(9)〜チャッピーと戸籍地獄、そして母は風のように去っていった〜

ルーツ探し

母の「恵那の山」問題。

ようやく、母の出生から死亡までの原戸籍と、土地の名寄せ票を揃えることができました。

今の時代、全国の役場はオンライン化されています。

「便利になったなぁ〜」

と思ったのですが、そう甘くない。

取れるのは“自分の直系”だけ。

つまり、

  • 母 → OK
  • 祖父母 → OK
  • 曾祖父母 → OK

ところが、

  • 姉 → NG

なのです。

いや、そこ融通きかせてよ…。

姉の戸籍が取れない問題

今回必要だったのは、亡くなった姉の除籍票。

しかし私は兄弟なので取得できない。

結局、姉の息子である甥っ子・啓一に頼むことになりました。

さらに問題は続きます。

姉は昔、一度結婚して離婚しているのですが、その元旦那さんの改製原戸籍まで必要だと言う。

理由は、

「甥っ子以外に相続権を持つ人がいない」

ことを証明するため。

…いやもう、戸籍って推理ゲームです。

しかも、これも甥っ子本人じゃないと取れない。

役所の窓口で、

「あなたは誰で、誰の何で、なぜ必要なんですか?」

を延々と説明する世界。

日本の行政、なかなか奥が深い。

チャッピー、絶対に怒らない

必要書類はまだあります。

  • 私と甥っ子の戸籍
  • 印鑑証明
  • 遺産分割協議書

この「遺産分割協議書」がまた難しい。

普通の人は人生で何回も書くものじゃありません。

そこで再び登場。

我らがチャットGPT、略して「チャッピー」。

これが本当に優秀。

しかも、絶対に怒らない。

  • 同じ質問をしても怒らない
  • 勘違いしても怒らない
  • さっき聞いたことをまた聞いても怒らない

人間相手なら、

「それ、さっき説明しましたよね?」

くらい言われそうな場面でも、

「もちろんです」

みたいな顔で説明してくる。

AIの最大の長所は、忍耐力かもしれません。

最後は人間にも確認

すべての書類を揃えたら、最後は法務局へ相続登記申請。

…なのですが。

さすがにチャッピー一本では不安。

そこで、高校時代の友人・園田に相談しました。

彼は法律事務所勤務。

こういう相続や登記の仕事を実際にやっているプロです。

「これで間違いないか?」

と確認してもらいました。

やはり最後は、人間の安心感も大事です。

チャッピー、ごめん。

母という人

今回の相続騒動で、思いがけず母の人生を改めて振り返ることになりました。

父が家を出て行ったあと、母は4歳と1歳の子供を抱え、途方に暮れていたと思います。

昭和30年代。

今みたいにシングルマザー支援なんてほとんどありません。

実家へ身を寄せながら、とにかく働くしかなかった。

そして母が選んだのは、水商売の世界でした。

名古屋の高級クラブ「ミカド」

母は名古屋の高級クラブ「ミカド」でホステスとして働いていました。

一流クラブですから、お客さんも一流。

接客しながら経済情報を集め、昼間は短波放送ラジオで株価を聞いていたようです。

夕方になると着物に着替え、

「シャキッ!」

とした顔で出勤。

子供心にも、

「あ、仕事モードだ」

と空気が変わるのが分かりました。

高度経済成長の波にも上手く乗ったのでしょう。

女手一つで二人の子供を育て、

  • 名古屋市郊外に家を建て
  • 株もやり
  • 最後には“恵那の山”まで購入

…いや、行動力が凄い。

「水商売の子」と呼ばれた時代

もちろん、当時は偏見もありました。

近所から、

「水商売の子」

と白い目で見られることもありました。

でも母は、そんなことではへこたれない。

私も自然と、

「まぁ、世の中そんなもんだ」

くらいの感じで育ちました。

ちなみに、小学校低学年の頃の私。

磁石をぶら下げて道を歩き、屑鉄集めをしていました。

その話を妻にすると、

「え? 戦後すぐの話?」

と笑われます。

いや、昭和です。

でも本当です。

母の休日は年2日

さらに驚くのが、母の働き方。

休日は、

大晦日と元旦の2日だけ。

日曜? 祝日?

そんなものありません。

365日近く働く母の背中を見て育ったせいか、

「毎日働くのは当たり前」

という感覚だけは、しっかり身に付きました。

これは今思えば、大きな財産だった気がします。

40代で転職、次は付添婦

母は40歳を過ぎる頃、

「もうクラブは卒業かな」

と思ったのでしょう。

スパッと夜の仕事を辞め、今度は病院の付添婦へ転身。

これがまた向いていた。

機転が利く人でしたから、患者さんにも可愛がられ、お金持ちの患者さんからチップやお小遣いをもらうことも多かったようです。

時代を生き抜く力。

母を見ていると、それを強く感じます。

最後まで母らしく

そして母は、最後まで母らしかった。

生前、自ら献体登録をしていました。

理由はシンプル。

「死んだら何も分からないんだから、医学生の役に立てばいい」

そして、

「子供たちに迷惑を掛けたくない」

という思いもあったのでしょう。

母が亡くなった時、私は慌てて九州から名古屋へ向かいました。

しかし到着すると、すぐに名古屋大学の運搬車が来て、母の遺体は運ばれていきました。

姉はすでに亡くなり、親戚も高齢。

そして何より、主役である母がいない。

結局、葬式はしませんでした。

みんな、それぞれの心の中で見送ったのです。

でも、それで良かった気がします。

最後まで母は、

「じゃ!」

と風のように去っていきました。

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