~年商10億円の夢と、50年越しの恩返し~
前回、「青竹箸で年商10億円!」という壮大な夢を語りました。
結果から言うと、その夢は見事に散りました。
まあ、世の中そんなに甘くありません。
しかし、夢は消えても、少しだけ商売にはなったのです。
ダメもとで送った「家庭画報」
結婚式場への営業がことごとく失敗したあと、
「どうせダメなら、もう一発やってみるか」
と、『家庭画報』の編集部へ青竹箸のサンプルを送りました。
ただのお箸では面白くありません。
青竹の筒を花入れにし、
切り取った蓋を箸置きにし、
そこへ青竹箸を二膳添える。
お正月の食卓を彩る、ちょっと粋なセットです。
送ったのは8月頃。
すっかり忘れかけた頃に編集部から連絡がありました。
なんと記事で紹介してくれるというのです。
しかも商品販売ではなく記事扱い。
つまりマージンなし。
職人にとっては、これが一番ありがたいのです。
全国から注文がやって来た!
記事には、
「大分県の竹職人がこんな作品を作っています」
という紹介と工房の連絡先が掲載されました。
すると・・・
電話が鳴る。
また鳴る。
さらに鳴る。
全国から注文や問い合わせが殺到したのです。
こちらは完全に想定外。
嬉しいやら慌てるやら。
小さな工房に突然、全国区の波が押し寄せてきました。
青竹工場、開設!
ところが注文が増えるほど問題も出てきます。
青竹の命である、あの美しい緑色。
放っておくと色が飛んでしまうのです。
そこで冷凍保存。
冷凍庫を買い込み、
入りきらない分は知人の冷凍庫まで借りる始末。
気が付けば、竹細工屋なのか冷凍食品業者なのか分からない状態です。
さらに大量生産も大変でした。
竹を一定幅に割る機械を自作し、
治具を作り、
カンナで削り、
最後は一本一本ナイフで仕上げる。
青竹を洗い、
花入れを作り、
箸を詰め、
箱に入れ、
包装し、
冷凍庫へ。
今思えば気の遠くなる作業です。
でも、その頃は夢中でしたから不思議とできてしまうのです。
50セットの注文主
そんな中、特に忘れられない注文があります。
なんと50セットもの注文。
注文してくださったのは、小学校5・6年生の担任だった服部先生でした。
私が竹細工をしていることは年賀状で知っていたそうです。
そして家庭画報の記事を見て、
親戚へ、
知人へ、
さらには私の同級生にまで、
自腹で配ってくださったのです。
ありがたいなんて言葉では足りません。

「世界一周の旅」
服部先生との思い出で一番印象に残っているのは、小学校6年生の謝恩会です。
各クラスが歌や踊りを披露する中、
私たちのクラスは演劇をやることになりました。
題名は、
「世界一周の旅」
言い出したのは私です。
すると服部先生は、
「じゃあ、あなたが全部やりなさい」
と、
脚本、
演出、
スタッフ編成まで、
丸ごと任せてくれました。
今考えると、小学生に任せる仕事じゃありません(笑)。
でも、その劇は大成功。
会場は大爆笑と大拍手。
あの時の興奮は今でも忘れられません。
先生が覚えていたこと
さらに後になって聞いた話があります。
同じクラスに、体が弱く、時々授業中に具合が悪くなる子がいました。
ある日、その子が教室で吐いてしまったそうです。
みんなが離れて見ている中、
私は何も言われていないのに雑巾を持って片付けたそうです。
正直、私は全く覚えていません。
ところが服部先生は、その光景をずっと覚えていたのです。
そして、
「この子はワンパクだけど、優しい子なんだな」
と思ったそうです。
人生は巡り巡る
青竹箸で大金持ちにはなれませんでした。
年商10億円どころか、冷凍庫代を考えたら怪しいものです。(笑)
でも、あの挑戦があったからこそ気付けたことがあります。
人は、自分では忘れてしまったような小さな行動を、誰かが覚えていてくれることがある。
そして、その思いは何十年も経ってから返ってくることがある。
服部先生は、小学校を卒業してから50年以上も私を応援してくださいました。
青竹箸が運んできたのは利益ではなく、
「人とのご縁」
だったのかもしれません。
考えてみれば、50セットの注文よりも、その気持ちの方がずっと高価だったような気がします。


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