そもそも、何故竹細工をしているのか?(その8)〜ログハウス編・家も人生も手作りです〜

ログハウス

〜ログハウス編・家も人生も手作りです〜

さて、舞台は再び――
今暮らしている大分県宇佐市安心院町へ戻ってきました。

竹原市での講師生活を終え、「渡り鳥生活」にもひと区切り。
とはいえ、安心院にも当然、住む家が必要です。

実はこの家づくり、ずっと前から進行していました。
竹の訓練校に入った頃、同時に始めたのがログハウスづくりです。

チェンソーで組み合わせを削って

コツコツ、コツコツ。
気がつけば、数年がかりの大プロジェクトになっていました。

そしてある年、ついに棟上げ。
これはもう祝うしかないということで、棟上げパーティーを開催です。

大鍋でカレー、バーベキュー、
とにかく人を呼んでワイワイやろうと声をかけたら――

約80人、集合。
いやもう、家より人のほうが多い(笑)

そんな賑やかな中、
「こんな山の中で、誰が住むんだろう?」と密かに思っていた一人の女性。

……その方が、後の奥さんです。
人生、どこで何がつながるか分かりません。

ログハウスづくりは、その後も続き、足かけ4年で完成。
……と言いたいところですが、

正確には「住めるようになった」です(笑)

というのも結婚した時点では、

窓なし、建具なし、
2階へは脚立で移動。

なかなかワイルドな新婚生活でした。

最初の食卓は、みかん箱。
まさに原点です(笑)

そして翌年、長男誕生が決まり――
「これはさすがにまずい」と、大急ぎでお風呂を製作。

何もかもが手作りの暮らしでした。

ちなみに、最初に「丸太で家を作る」と親に話した時、
母の一言。

「あんた、プラモデルも途中でやめたでしょ」

……いや、そこ引っ張ります?(笑)

そんな私が、周りの人に助けられながら、なんとか家を完成させました。
多少の隙間風はご愛嬌。

でもその家、40年経った今も現役です。

さて、そもそもなぜログハウスだったのか。

今から40年前は、

ログハウスの雑誌もなく、
インターネットもなく、
情報はほとんどありませんでした。

田舎暮らしをするにあたっての大問題は、

収入と、住む家。

お金もない、信用もない。
銀行も貸してくれない。

となると――

「自分で建てるしかない」

という、非常にシンプルな結論に(笑)

とはいえ建築の知識はゼロ。
普通の家は無理。

そこで頼りにしたのが、たった一冊の本。
「丸太小屋の作り方」です。

熊本に丸太小屋の喫茶店があると聞けば見に行き、
あちこちで情報収集。

すると、思わぬ展開がありました。

「灯台下暗し」とはこのこと。

住もうとしている場所から車で10分のところに、
ログハウスを“遊びで”建てている人たちがいるというのです。

さっそく行ってみると、そこには3人の先輩方。
その中の一人、高橋さん。

この方が、後に人生を大きく変える存在になります。

初めて訪ねた日。

高橋さんはチェンソー片手に、丸太を組んでいました。

恐る恐る、
「この近くに住もうと思っていて、丸太で家を作りたいんです」と話すと――

一言。

「じゃあ、やってみるかい」

そう言って、手に持っていたチェンソーを差し出す。

……いやいや、いきなり実戦ですか!?(笑)

こうして私のログハウスづくりは、
本の知識から一気に“現場主義”へ。

ここから先、さらに濃い話になっていきます。

続きはまた次回です。

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