〜ログハウス編・家も人生も手作りです〜
さて、舞台は再び――
今暮らしている大分県宇佐市安心院町へ戻ってきました。
竹原市での講師生活を終え、「渡り鳥生活」にもひと区切り。
とはいえ、安心院にも当然、住む家が必要です。
実はこの家づくり、ずっと前から進行していました。
竹の訓練校に入った頃、同時に始めたのがログハウスづくりです。

コツコツ、コツコツ。
気がつけば、数年がかりの大プロジェクトになっていました。
そしてある年、ついに棟上げ。
これはもう祝うしかないということで、棟上げパーティーを開催です。
大鍋でカレー、バーベキュー、
とにかく人を呼んでワイワイやろうと声をかけたら――


約80人、集合。
いやもう、家より人のほうが多い(笑)
そんな賑やかな中、
「こんな山の中で、誰が住むんだろう?」と密かに思っていた一人の女性。
……その方が、後の奥さんです。
人生、どこで何がつながるか分かりません。
ログハウスづくりは、その後も続き、足かけ4年で完成。
……と言いたいところですが、
正確には「住めるようになった」です(笑)
というのも結婚した時点では、
窓なし、建具なし、
2階へは脚立で移動。
なかなかワイルドな新婚生活でした。
最初の食卓は、みかん箱。
まさに原点です(笑)
そして翌年、長男誕生が決まり――
「これはさすがにまずい」と、大急ぎでお風呂を製作。
何もかもが手作りの暮らしでした。
ちなみに、最初に「丸太で家を作る」と親に話した時、
母の一言。
「あんた、プラモデルも途中でやめたでしょ」
……いや、そこ引っ張ります?(笑)
そんな私が、周りの人に助けられながら、なんとか家を完成させました。
多少の隙間風はご愛嬌。
でもその家、40年経った今も現役です。
さて、そもそもなぜログハウスだったのか。
今から40年前は、
ログハウスの雑誌もなく、
インターネットもなく、
情報はほとんどありませんでした。
田舎暮らしをするにあたっての大問題は、
収入と、住む家。
お金もない、信用もない。
銀行も貸してくれない。
となると――
「自分で建てるしかない」
という、非常にシンプルな結論に(笑)
とはいえ建築の知識はゼロ。
普通の家は無理。
そこで頼りにしたのが、たった一冊の本。
「丸太小屋の作り方」です。
熊本に丸太小屋の喫茶店があると聞けば見に行き、
あちこちで情報収集。
すると、思わぬ展開がありました。
「灯台下暗し」とはこのこと。
住もうとしている場所から車で10分のところに、
ログハウスを“遊びで”建てている人たちがいるというのです。
さっそく行ってみると、そこには3人の先輩方。
その中の一人、高橋さん。
この方が、後に人生を大きく変える存在になります。
初めて訪ねた日。
高橋さんはチェンソー片手に、丸太を組んでいました。
恐る恐る、
「この近くに住もうと思っていて、丸太で家を作りたいんです」と話すと――
一言。
「じゃあ、やってみるかい」
そう言って、手に持っていたチェンソーを差し出す。
……いやいや、いきなり実戦ですか!?(笑)
こうして私のログハウスづくりは、
本の知識から一気に“現場主義”へ。
ここから先、さらに濃い話になっていきます。
続きはまた次回です。


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