〜竹バッグ、爆誕!編〜
弟子たちも少しずつ増え、工房は毎日にぎやか。
竹を割る音、編む音、笑い声。
注文にも追われ、まさに“竹まみれ”の日々でした。
当時の別府では、職人の8割くらいが花籠を作っていたのではないでしょうか。
それくらい、花籠全盛時代だったのです。
しかし、そんな中でも、私は少しずつ時代の変化を感じ始めていました。
記念品や引き出物の大量注文が減ってきた。
大きな日本家屋が減り、マンション暮らしが増えてきた。
床の間が消え、和室が減り、プレハブ住宅が増えていく。
さらに昔は、
「お茶・お花・お裁縫」
が花嫁修業の定番でしたが、そんな時代も変わり始めていました。
つまり――
花籠を飾る“場所”も“文化”も、少しずつ変わってきていたのです。
そんなある日。
取引先の問屋さんから、一本の電話。
「高江君、竹のハンドバッグ作れないかな?」
えっ、バッグ?
当時は、超有名な大先生が作る高級竹バッグはありました。
でも問屋さんが欲しかったのは、
“もっと手が届く、おしゃれな竹バッグ”。
「これは絶対売れると思うんだよね〜」
その一言から、新しい挑戦が始まりました。
最初に作ったのは、網代編みのバッグ。
工房ではバッグ本体を作り、
巾着部分は縫製屋さん、
持ち手は問屋さんが手配。
みんなで一つのバッグを作る、分業スタイルです。
販売価格は――
38,000円。
当時の花籠が1万円くらいでしたから、かなり高額商品です。
正直、
「本当に売れるの?」
半信半疑でした。


ところが。
10個納品したら、すぐ追加注文。
「もっと作って!」
「違う編み方でも!」
「サイズ違いも欲しい!」
気づけば、どんどん種類が増えていきました。
後になって、その問屋さんの奥さんが、当時の社内秘話を教えてくれました。
奥さんが、
「竹バッグを高江君に作ってもらおうと思う」
と言ったところ、会長さんが、
「竹バッグなら〇〇先生に頼みなさい」
と反対したそうです。
そりゃそうです。
当時の私は、まだ若手職人。
でも奥さんが、
「これから伸びる若い職人に作ってもらいたいんです!」
と押し切ってくれた。
ありがたい話です。
今の自分があるのは、こういう“誰かの後押し”のおかげなんですね。
今では「竹のハンドバッグ」って普通に聞こえるかもしれません。
でも当時は、業界に新風を吹き込むくらい衝撃的だったのです。
なぜヒットしたのか?
それは、花籠とは“市場”が違ったから。
花籠や盛籠は、家の中で使う“リビング用品”。
でもバッグは――
“ファッション”。
つまり、
家に置くものではなく、外へ持ち歩くもの。
市場規模も、価値観も、まるで違ったのです。
しかも、おしゃれな竹バッグを持って街を歩いていると、
「そのバッグ、素敵ですね」
と声を掛けられる。
人は、
“お気に入りを持ち歩きたい”
そして、
“良いものを持っている自分を認めてもらいたい”
そんな気持ちがあるのだと思います。
こうして、工房にも大きな変化が訪れました。
取材も増え、
雑誌にも載り、
花籠中心だった工房は、
いつしか――
“竹バッグの工房”
へと変わっていったのです。


コメント