ルーツを訪ねて(4)~「親父、沖縄に親戚いるってよ」…から始まったルーツ探し~

ルーツ探し

「親父、沖縄に親戚いるってよ」…から始まったルーツ探し

次男坊・シンラ、10歳。

ということで、再び発動します。

我が家の家訓――

「息子が10歳になったら、親父と二人で“男の旅”に出る」

さて、今回はどこへ行こうか?

長男クルムの時は、北海道の青春放浪ルートを辿る旅でした。

しかし今回は、ふと思ったのです。

「自分のルーツを探す旅にしよう」


実は私は、父親をほとんど知りません。

私が1歳の時、父は家を出て行きました。

母は、4歳の姉と1歳の私を抱えて、女手一つで育ててくれたのです。

10歳の時に「父親が亡くなった」という知らせは届きました。

でも、記憶がない。

だから悲しみも実感も、何もありませんでした。

けれど50歳近くになると、人は不思議なことを考え始めます。

「自分は、どこから来たんだろう?」

急に、自分の“根っこ”が気になり始めたのです。


母に父親のことを聞くと、あまり良い顔をしません。

そりゃそうです。

それでも、ぽつりぽつりと教えてくれました。

  • 父は沖縄出身
  • 兄が二人いる
  • 長兄は「康有さん」
  • 次兄は「康政さん」
  • 康有さんは高校野球の監督をしていた

以上。

……少なっ!!

情報量、刑事ドラマなら開始5分で捜査打ち切りレベルです。

しかし、ここで諦めないのが“ルーツ探しモード”に入った50歳。

まず私は、沖縄の知人に聞き込み開始。

「昭和30年代、野球が強かった高校ってどこですか?」

すると名前が挙がったのが、

  • 首里高校
  • 那覇高校
  • 沖縄水産高校

などなど。

そこで私は、各高校の校長先生宛に手紙を書きました。

今思えば、なかなか大胆です。

内容は、

「自分のルーツを探しています。親族に高校野球の監督をしていた人がいるので、何かご存じありませんか?」

という、ほぼ“人生探偵事務所”状態。


すると、那覇高校から返事が来たのです。

「昔、高江洲康有さんという方が監督をされていました。沖縄水産高校出身です」

来た!!

点と点が繋がり始めた瞬間です。

すぐに今度は、沖縄水産高校へ手紙。

すると学校側から、

「ちょうど100周年記念同窓会があります。当時をご存じの方も来られるので、聞いてみましょう」

という、なんとも温かい返事。

沖縄の人、優しすぎる。

本州だったら「個人情報ですので」で終了する可能性もあります。


そして秋。

ついに電話が鳴ります。

「康有さんを知っている方が見つかりました」

おおおおお!

しかし、その方に電話すると――

「残念ながら、康有さんはもう亡くなっています」

……ですよね。

年齢的には90歳を超えていても不思議ではありません。

少し肩を落としながら、お礼を言って電話を切ろうとした、その時。

「康政さんなら、連絡取れますよ」

……え?

康政さん?

それ、父の次兄じゃないですか!!

もう私の中では、

「監督でも次兄でも、とにかく血が繋がってればOK!」

状態。

すぐに連絡先を教えてもらいました。


そして、人生で初めて“叔父”に電話。

「突然ですが、私は康吉の息子です」

そりゃ、向こうも混乱します。

しかも時代は、ちょうど“オレオレ詐欺”が世間を騒がせ始めた頃。

怪しさ満点です。

さらに叔父さん、耳が遠い。

会話が成立しない。

結果、息子さん――つまり私の従兄弟に電話交代。

ここでようやく事情を説明し、

「詳しくは手紙を書きます」

と約束しました。


私は、これまでの経緯を全部手紙に書きました。

次男との“男旅”のこと。
ルーツを探した理由。
ここまで辿り着いた経緯。

そして最後に――

父と母が、1歳の私を抱いている写真を同封しました。

きっと、その写真で確信してくれたのでしょう。

「これは、間違いなく弟の子だ」と。

しばらくして、叔父さんから連絡が来ました。

「一度、沖縄に来なさい」

その言葉を聞いた瞬間、不思議な感覚になりました。

会ったこともない“親戚”が、自分を待ってくれている。


そして翌年2月。

ついに私は、次男坊シンラを連れて沖縄へ上陸。

こうして、“男旅”は、ただの親子旅行ではなく、

「自分がどこから来たのかを知る旅」

へと変わっていったのです。

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