そもそも、何故竹細工をしているのか?(その1)〜動機はちょっと不純です〜

そもそも、何故竹細工をしているのか?シリーズ

〜動機はちょっと不純です〜

取材やインタビューを受けた時、必ず、聞かれるのが

「どうして竹細工を始めたのですか?」という質問です。

そこで、自分なりに「そもそも、何故竹細工をしているのか?」を文章にして纏めてみることにした。あちらこちらに話が飛びそうですが、興味がある方はご覧ください。

最近の若い弟子たちに、こんな質問をしてみました。

「なんで竹細工をやってるの?」

すると返ってくる答えが、これまた立派なんです。

「〇〇さんの作品に感動して…」
「伝統工芸展で見て心を打たれて…」
「職人という生き方に憧れて…」

うーん、まぶしい。
どれもこれも、まっすぐで美しい理由です。

夢や志を持ってこの世界に入ってくる。
赤貧でも自分らしい生き方を求めてコツコツ積み重ねる。

実に素晴らしい。

……で、私はどうだったかというと。

まったく違います(笑)

そもそも、「竹細工がやりたい!」がスタートではありません。

私の場合は――

「田舎暮らしがしたい」これが先。

名古屋市で生まれ育ちました。
久しぶりに帰ると、上には都市高速、下には地下鉄。

便利です。ものすごく便利。

……でもその反動でしょうか。

「自然に囲まれて暮らしたいなぁ」
「できれば自給自足っぽい生活とか…」

そんな、ふわっとした憧れがありました。

社会に出て就職したのは、「レストラン南山」という焼肉チェーン。

これが、後々かなり大きな影響を与えます。

というのも、この会社――今から50年ほど前に、

「自然食材を使おう」
「有機栽培の野菜を使おう」

という、当時としてはかなり先進的(というか、ちょっと変わり者扱いされる)考え方で経営していたのです。

21歳から29歳まで、約9年間在籍。

その間、有機農法を実践している農家の方々とたくさん出会いました。

当時はどちらかというと「変わった人たち」という見られ方でしたが、
皆さん共通していたのは――

自分のやっていることに、ものすごく信念がある。

この人たちと接しているうちに、

「ああ、こういう生き方、いいなぁ」

と、じわじわ思うようになったのです。

そして26歳のとき。

今住んでいる大分県宇佐市安心院町の土地と出会います。

すぐに「ここだ!」……とはいかず、約2年かけて地域の方々と交流。
ようやく土地を分けてもらえることになりました。

……が、後から聞いた話。

村の人たちは思っていたそうです。

「どうせ長続きせんやろ」

まあ、気持ちは分かります(笑)

一方で会社にも、

「30歳になったら農業をやるので辞めます」

と宣言。

レストラン時代の私です。この頃はとってもスリムです。

これもこれで、

「まあ、そのうち気が変わるだろう」

と思われていたようです。

どこへ行っても、信用が薄い(笑)

26歳から29歳までの3年間、いろんな農家さんの話を聞きました。

そして退職後、長野県の篤農家のもとで住み込み3か月の農業修行。

そこで、こんなアドバイスをもらいます。

「夢を持って農業に入る若者は多い。
でも台風や病気で収入が途絶えると、みんな辞めていく。
農業がダメでも、最低限の現金収入があると続けられるんだがね」

……これは、刺さりました。

「なるほど、その通りだ」と。

そこで考えたのが、

「手に職をつけよう」

そして見つけたのが、竹細工。

大分県には当時、いくつか職業訓練校があり、その中に別府校の竹工芸課がありました。

正直なところ、

「向いてるかどうかは、やってみないと分からない」

という軽い気持ちもありました。

でも、もう一つ大きな理由があって――

初期投資がほとんどいらない。

道具も少なくて済むし、もし向いていなくても大きな損にはならない。

なかなか現実的な判断です(笑)

こうして、田舎暮らしを目指した結果、

気がつけば竹細工の道に入っていたわけです。

動機としては、ちょっと不純かもしれませんが……

人生、何がきっかけになるか分からないものです。

さて、この「なんとなく始めた竹細工」が、
どうやって今の仕事になっていったのか。

続きはまた、次回。

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