「毎度お騒がせいたしております」の時代
学生時代は、生活費と遊び代を稼ぐために、思いつく限りいろいろなアルバイトをしました。その中でも、今ではすっかり見かけなくなった仕事があります。
**「ちり紙交換」**です。

昭和50年(1975年)頃の話です。
今の若い人には想像しにくいかもしれませんが、当時は昼間になると町のどこからともなく、
「毎度お騒がせいたしております。ご家庭でご不要になりました新聞、雑誌、段ボールなどございましたら、お取り換えに参ります。」
という、あの独特のアナウンスが流れてきました。
その声が聞こえると、家にいたお母さんたちが新聞紙の束を抱えて家から出てくる。そんな光景が、ごく当たり前に見られた時代でした。
それ以前はリヤカーを引いて回るのが主流でしたが、高度経済成長とともに軽トラックが普及し、ちり紙交換もずいぶん近代化されていました。
私がこの仕事を始めたきっかけは、実に単純です。
同級生が、
「これ、めちゃくちゃ儲かるぞ!」
と言うものですから、「それなら俺も!」と、二つ返事で飛びついたのでした。
若い頃というのは、「儲かる」の一言に弱いものです。(今もあまり変わらないかもしれませんが……。)
元締めの廃品回収業者で軽トラックを借り、スピーカーから例のアナウンスを流しながら町を走ります。
ところが、この仕事は運転するだけではありません。
どこを回るか。
これが腕の見せどころでした。
商店街は店の人が忙しく、オフィス街は誰も新聞を持ってきてくれません。
狙い目は、やはり団地です。
当時は「文化住宅」と呼ばれる大型団地が各地に建ち始めた頃で、一度当たりを引けば古新聞や段ボールが山のように集まります。
交換の目安は、
- 古新聞約10kgでトイレットペーパー1ロール。
- 15~20kgなら2~3ロール。
今では考えられませんが、それで皆さん喜んで交換していたのです。
実は、この頃は日本の「ちり紙交換黄金時代」でもありました。
昭和48年のオイルショックでは、全国でトイレットペーパーの買い占め騒動が起き、紙そのものが貴重品になりました。
その影響で古紙の価格は急騰。
古紙1kgが50円を超えることもあり、「ちり紙交換はホストより儲かる」「月収50万円も夢ではない」と週刊誌が騒ぎ立てるほどの大ブームになりました。
サラリーマンの初任給が8万円台だった時代ですから、まさに夢のような話です。
……もっとも、夢というものは、人が夢だと気付いた頃には終わりかけているものです。
私が始めた頃には、「儲かる」と聞きつけたライバルたちが町中を走り回っていました。
こちらのトラックが曲がれば、向こうからも同じアナウンス。
「あれ?さっきも聞いたぞ。」
そんなことも珍しくありませんでした。
朝から夕方まで町中をぐるぐる回って集めた古新聞も、
- トラックのレンタル代
- トイレットペーパー代
- ガソリン代
これらを差し引けば、手元に残るお金はほんのわずか。
「儲かる仕事」という話ほど、耳に入った時にはもう旬を過ぎている。
そんな世の中の仕組みを、学生の私は身をもって学ぶことになりました。
それでも、このアルバイトは決して無駄ではありませんでした。
どうすれば効率よく回れるのか。
どの地域なら人が集まるのか。
利益を出すには何を工夫すればいいのか。
毎日そんなことばかり考えていました。
今思えば、経営学の本を読むより、軽トラック一台で町を走り回ったほうが、商売の難しさをずっと実感できた気がします。
汗を流しても思うように儲からない。
だからこそ、「お金を稼ぐ」ということの大変さが身に染みてわかりました。
あの頃、町中に響いていた「毎度お騒がせいたしております」という懐かしいアナウンスを思い出すたびに、昭和という時代の熱気と、自分の若さを少し照れくさく思い出すのです。


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