横浜出張から戻ったある日、由布院の「佛山寺」から一通の案内が届いていました。
「境内墓地供養」のお知らせです。
そういえば、昨年こちらに母のお墓を作ったのでした。
というわけで、久しぶりに由布院へ。今回は観光というより、ちょっと真面目な用事です。
とはいえ、せっかくの由布院。
お寺だけで帰るのも、なんだかもったいない気がしますけどね(笑)。
金鱗湖の近くに佇む古刹
佛山寺は、金鱗湖の近くにひっそりと佇む、臨済宗妙心寺派のお寺です。
なんといっても印象的なのが、茅葺き屋根の山門。
元禄時代(1688~1704年)に建立されたとされ、湯布院最古の木造建築ともいわれています。
派手さはありませんが、そこに立っているだけで「昔からここにいますよ」と言っているような、なんとも味わい深いお寺です。
由布院の華やかな観光地とはまた違った、静かで落ち着いた空気が流れています。
「団地式」のお墓という選択
さて、なぜ佛山寺から案内が届いたのか。
実は昨年、ここに母のお墓を作ったからです。
「お墓」といっても、大きな墓石をドーンと建てる昔ながらのお墓ではありません。
言ってみれば……
お墓の団地です(笑)。
一つひとつの納骨スペースが並んでいて、それぞれが個別のお墓になっています。
これが、なかなか合理的。
管理や清掃は運営する側がしてくれるので、残された家族が草むしりをしたり、墓石を掃除したりする必要がありません。
さらに、跡を継ぐ人がいなくても、寺院が永代にわたって供養・管理してくれます。
そして何より、立派な墓石を建てる一般的なお墓に比べると、費用も抑えやすい。
最近は、代々続いてきたお墓の維持が難しくなり、「墓じまい」をして、このような形のお墓に移す人も増えているそうです。
時代とともに、お墓のスタイルも変わっていくんですね。
母は「献体」を希望していました
母が亡くなったのは、令和4年11月。
母は生前から「献体」を希望していたため、亡くなってすぐに大学病院へ運ばれていきました。
そして約3年。
大学での役目を終えた後、合同葬儀が行われ、ようやく遺骨が戻ってきました。
その遺骨を、昨年この佛山寺に納めさせてもらったのです。
観音様の像の横には、20体ほどの慰霊碑が並んでいます。



そこに手を合わせると、いろいろなことが頭をよぎります。
「母さん、ちゃんとここに落ち着いたよ」
そんな報告をするような気持ちで、お参りしてきました。
そして、私たちの「予約」まで(笑)
母の納骨をした時、もう一つしたことがありました。
なんと……
私たち夫婦のお墓も予約してきました。
いやいや、まだ元気に生きております(笑)。
お墓はすでに用意されていて、私たちの名前も入っています。
ただし、まだ存命なので名前は赤文字。
なんとも気の早い話ですが、これも「終活」の一つということで。
私たち夫婦の隣には、姉夫婦のお墓もあります。
つまり、将来は姉夫婦とお隣さんです。
生きている間はそれぞれ別々に暮らしていますが、死んだ後までご近所付き合いが続くとは……。
「お隣さん、よろしくお願いします」と言っておきました(笑)。

「ここなら、忘れられないかな」
共同墓地にお墓を作っても、何代も何代も時間が経てば、誰のお墓なのか分からなくなってしまうかもしれません。
その点、ここ佛山寺なら、由布院を訪れたときにお参りできます。
私たちがいなくなった後も、お寺が管理してくれる。
そして何より、この場所の雰囲気がいい。
観光客で賑わう由布院のすぐ近くなのに、お寺の境内に入ると、時間が少しゆっくり流れているように感じます。
母のお墓がここにあるなら、これから由布院に来るたびに、
「ちょっと母さんのところに寄っていこうか」
と、気軽に立ち寄れそうです。
そう考えると、これは単なる「お墓」ではなく、家族が由布院を訪れる理由が一つ増えたということなのかもしれません。
まだまだ元気に生きるつもりではありますが、帰る場所の予約だけは、ずいぶん早めに済ませてしまいました。
さて、赤文字の名前が黒くなるのは……
できるだけ、ずーっと先でお願いしたいものです(笑)。


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