子どもの頃は、空き瓶を拾い、屑鉄を集めて小遣いを稼いでいました。
でも、それはまだ序章。
私のアルバイト人生は、小学6年生から本格的に始まります。
最初の仕事は、地元・名古屋ではおなじみの中日新聞の朝刊配達。
「新聞配達なんて楽そうじゃない?」
そう思ったあなた。
それは大きな勘違いです(笑)。
地元紙だけあって、どこの家も中日新聞。
そのため配達区域は狭いのですが、とにかく部数が多い!
一つの区域で約200部。
肩から下げた新聞袋は、もはや袋ではなく筋トレ器具でした。
歩くたびに肩へ食い込む重さ。
「ああ、今日は肩の高さが左右で違う…。」
そんな日もあったような、なかったような(笑)。
中学生になると、今度は朝日新聞の配達に挑戦。
こちらは一転して部数は約100部。
「半分なら楽勝じゃないか!」
…と思ったら、世の中そんなに甘くありません。
今度は配達区域が広い!
歩いていたら朝刊が夕刊になってしまうので、自転車の荷台に新聞を山積みにして、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。
結局、「重い中日」か「広い朝日」かの違いだけで、どちらも楽ではありませんでした。
新聞配達で良かったこともあります。
朝早く起きる習慣が身につくこと。
そして何より、自分で働いて手にしたお金は、お小遣いとは別格のうれしさがありました。
でも…。
毎日配らなければいけない。
雨の日も。
風の日も。
寒い日も。
眠い日も。
「今日は布団が勝つか、俺が勝つか。」
毎朝、自分との戦いでした(笑)。
そんな中学生時代、忘れられないアルバイトがあります。
夏祭りのお化け屋敷です。

そう、お客さんを驚かせる”お化け役”。
白い布をまとい、暗がりでじっと待機。
「わっ!」
と飛び出せば、お客さんは大絶叫。
ところが…。
たまに同級生、それも気になっていた女の子が入ってくることがあるんです。
「おっ、○○ちゃんだ!」
驚かせるはずが、ドキドキしていたのは、お化けの私の方でした(笑)。
もしかすると、お客さんより心拍数が高かったかもしれません。
今でも夏祭りのニュースを見ると、屋台のにおいや賑やかな音と一緒に、あのお化け屋敷の思い出がよみがえります。
考えてみれば、子どもの頃からよく働きました。
瓶を拾い、新聞を配り、お化けにもなった。
履歴書に書けば、なかなか個性的な職歴です(笑)。
でも、その一つひとつが、お金だけでは買えない思い出になっています。
昭和のアルバイトは、時給だけではありませんでした。
笑い話になる思い出まで、おまけについてきたんですね。


コメント