昭和の子どもは、みんな立派な「稼ぎ人」だった
先日、「カブトムシが教えてくれた商売の世界」を投稿したところ、思いのほか反響が大きかったのは、カブトムシではなく…
「子どもの頃、磁石で屑鉄を集めて小遣いを稼いでいた」
という一文でした。
「俺もやった!」
「懐かしいなぁ」
そんな声をいただき、同世代のみなさんも同じような経験をしていたんだなあと、なんだか嬉しくなりました。
昭和30年代。高度経済成長の真っただ中で、街全体にエネルギーがあふれていた時代です。
今のように何でも整っている世の中ではなく、大雑把だけれど自由があり、子どもたちにも工夫する余地がたくさんありました。お金はなくても、知恵と行動力でお小遣いを稼ぐ。それが当たり前の時代だったように思います。
一番手っ取り早かったのが、空き瓶集め。
酒屋さんへ持っていくと、
- ビール瓶 5円
- 一升瓶 10円
- コカ・コーラ瓶(レギュラー)10円
- ホームサイズ 20円
- 1リットル瓶 30円
今では信じられない金額かもしれませんが、小学校低学年だった私のお小遣いは一日5円ほど。だから道端で瓶を見つけると、「今日はラッキー!」と心の中でガッツポーズでした。
町内には必ず駄菓子屋があり、飴玉は1円、ラムネは5円。さらに、お好み焼き屋さんも一軒くらいはあって、お好み焼きが10円や15円で食べられる時代でした。
瓶一本が、子どもにとっては夢のような”臨時収入”だったのです。
そして時代は少しずつ変わります。
「♪僕のあだ名を知ってるかい 朝刊太郎と言うんだぜ♪」
そんな『新聞少年』の歌が流行っていた頃、私は小学6年生になり、名古屋市西区で中日新聞の朝刊配達を始めました。

担当は約200軒。
肩から新聞袋を下げ、50部ほどを詰め込み、少なくなれば自転車に積んだ新聞を補充しながら配達します。朝5時に起きるのは正直つらく、眠い目をこすりながら毎朝走り回っていました。
「働く喜びを知った少年時代でした。」
…と言うと格好いいのですが、正直に言えば目的はただ一つ。お小遣いが欲しかっただけです(笑)。
でも今振り返ると、あの頃の経験が、少々のことではへこたれない気持ちや、「まずはやってみよう」という行動力を育ててくれたのかもしれません。
屑鉄を拾い、瓶を集め、新聞を配る。
今の子どもたちには想像しにくいかもしれませんが、昭和の子どもたちは、みんな小さな「商売人」であり、小さな「働き人」だったのです。


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