そもそも、何故竹細工をしているのか?(その19)〜営業ベタ職人、アルバムを抱えて売り込みに行く編〜

そもそも、何故竹細工をしているのか?シリーズ

〜営業ベタ職人、アルバムを抱えて売り込みに行く編〜

大分での竹細工の自営業と、広島県竹原市での講師生活。
この二重生活は、なんと7年間も続きました。

秋になると広島へ渡り、春になると大分へ戻る――
まるで職人界の渡り鳥です。

しかし7年目。
長男坊が翌年には幼稚園。
さらに、次の子どももお腹にやってきました。

さすがに、

「半年ごとの引っ越し生活、そろそろ限界では?」

ということで、竹原の講師を辞める決断をしました。


そこからは一年中、大分の山奥にこもって竹籠作りです。

でも、不思議と不安はありませんでした。

というのも、7年間の講師生活のあいだに、

・作れる作品の種類が増えた
・取引先が増えた
・人との繋がりが増えた

少しずつ、“竹細工だけで生きる土台”が出来ていたのです。


当時、私はある作戦を実行していました。

それが――

「手作り作品カタログ営業」。

今みたいにパソコンもプリンターも無い時代です。

作品を写真に撮り、写真屋さんで現像し、
アルバムに一枚ずつ貼っていく。

そしてその下に、

・サイズ
・価格

を手書きで記入。

完全アナログ営業です。

しかも10冊作る。

なかなかの根性です。


そのアルバムを抱えて、問屋さんや小売店へ突撃。

「こんなの作れますけど、何か注文ありませんか〜?」

すると、面白いことが分かってきました。

ある店では、

「高くてもいいから、手の込んだ高級品を」

別の店では、

「いやいや、単価安くて数が動くものが欲しい」

お店によって、まるで好みが違うのです。


さらに面白かったのが、

A店では見向きもされなかった作品が、
B店では大絶賛されたりする。

つまり、

「ダメな作品」ではなく、
「合う店が違う」だけだったのです。

これは大きな発見でした。


しかも当時、

“作品アルバムを持って営業に来る竹職人”

なんて、ほとんど居ません。

だから、

「この若い職人、やる気あるな」

と、その意欲を買ってもらえたのです。

実際には、アルバム掲載作品の注文よりも、

「君、こんなの作れないか?」

という特注注文が増えていきました。

気づけば――

竹の訓練校を卒業してから、
仕事が無くて困ったことが無い。

これは本当にありがたいことでした。


そんな頃、訓練校の先生から一本の電話。

「高江君、青年海外協力隊に行く生徒を、しばらく預かって鍛えてくれないか?」

協力隊に行くまでの4か月間、
“職人の現場”を体験させてほしいという話でした。

学校で学ぶ技術だけでは足りない。
実際の仕事の流れやスピードを経験してほしい――と。

もちろん、引き受けました。

しかし、この時はまだ知りません。

この「4か月だけ預かる」が、
後に自分の人生の大きな柱になるとは。

そう――

私の「弟子づくり人生」の始まりだったのです。

左から二番目が田口さん

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