幻のポークライス物語 その1

アルバイト

――あの350円のどんぶりを知っていますか?――

「南山のポークライス」。

この名前を聞いて、「ああ、懐かしい!」と思った方は、かなりの通です。
いや、もしかすると幻の生き物を目撃した人レベルかもしれません。

なにしろ、このポークライス、今ではすっかり絶滅してしまったようなのです。

Google先生に聞いてみると、2010年頃までは、

「豊前市の【自由市場】宇島店の駐車場内にお店はあります」

という情報が残っていました。

ところが現在は……どうやらお店も見当たらない。

まさに、幻のどんぶりであります。

では、なぜ今さら、そんな昔の料理の話を書くのか?

実は私、このポークライスが世に出始めた頃のプロジェクトに、大きく関わっていたのです。


ポークライス誕生の舞台裏

この料理のスタートは、「焼肉レストラン南山」で始まった、あるプロジェクトでした。

レストラン南山は、大分県中津市が発祥の地。
京都に本店を置き、全国に十数店舗を展開していたお店です。

しかも、なかなか個性的な経営方針を打ち出す会社でした。

時は昭和50年代。

当時の九州では、サイフォン式コーヒーショップが大人気。

あちらにもコーヒー屋さん、こちらにもコーヒー屋さん。
小さなお店がたくさんありました。

ところが、流行というものは永遠ではありません。

次第にブームも下火になり、経営に苦しむ小さなコーヒーショップも増えてきました。

そこで当時のレストラン南山の会長、孫時英さんが考えました。

「行き詰まっているコーヒーショップを、ポークライスで蘇らせよう!」

……なかなか思い切った発想です。

コーヒーショップを救うのは、コーヒーではない。

豚肉である。

この大胆な企画が、ポークライスプロジェクトの始まりでした。


目の前でジュージュー! ライブ型どんぶり

この企画の面白いところは、大きな改装工事が必要なかったことです。

お店の入口に、お肉を焼く炉を設置。

まるで、うなぎ屋さんのように、目の前でお肉を焼いていきます。

ジュージュー……。

香ばしい匂いが漂い、お客さんの食欲を直撃。

そして焼き上がったお肉が、どんぶりに盛り付けられていく。

今でいうところの「ライブキッチン」でしょうか。

ただし、当時はそんなオシャレな言葉はありません。

とにかく、目の前で肉を焼く。

そして、その香ばしい匂いは換気扇を通って店の外へ。

周囲には、

「なんだ、このいい匂いは!」

と、豚肉の誘惑が広がっていくわけです。

今なら「匂いマーケティング」とでも呼ぶのでしょうか。

当時はたぶん、

「換気扇から、めちゃくちゃいい匂いが出ている」

というだけだったと思います。


気になるポークライスの正体

さて、そのポークライス。

国産豚肉の肩ロースを4切れほど使用。

特製のタレを絡ませながら、香ばしく焼いていきます。

それを麦ごはんの上に乗せ、小口切りのねぎをパラパラ。

さらに特製のタレを全体にかけて完成!

シンプルですが、これがうまい。

そして驚くべきは、そのお値段。

なんと、350円!

さらに、ミニサラダとわかめスープを付けたセットでも、

500円也。

……今の時代にこの価格を見たら、思わず二度見してしまいます。

「え? ゼロ、一個足りませんよね?」

と、店員さんに確認したくなる価格です。


実験店となった「南山大道店」

この壮大なポークライスプロジェクトの実験店となったのが、南山大道店でした。

広さは約15坪。

カウンターが6席ほど。

テーブルが4脚ほど。

こぢんまりとした、小さなコーヒーショップです。

もともとはコーヒーと軽食を提供していましたが、それだけではなかなか売り上げが伸びません。

正社員が2名。

補助としてアルバイトが1〜2名ほどいたでしょうか。

忙しさも、それほどではなく、一人か二人でも十分に店を回せる程度でした。

ところが、この小さなお店を再生させるために――。

全国のレストラン南山から、社員が6〜7人も集められたのです。

小さなお店に、全国から集結する精鋭たち。

なんだか、ちょっと大げさな気もします。

いや、でも本人たちは真剣です。

「この店を、ポークライスで復活させる!」

そんなプロジェクトのメンバーの一人に、

実は私も入っていたのでした。

さて、この先、ポークライスはどうなったのか?

小さなコーヒーショップは、本当に蘇ったのか?

そして、集められた6〜7人の社員たちは、いったい何をしたのか?

幻のポークライス物語、まだまだ続きます。

つづく

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