夏のロード 2026(その9)~京都編~

友人

京都といえば、恵文さん

京都と聞いて、
私が真っ先に思い浮かべる人物――

それが、恵文さんです。

もう、かれこれ50年近い付き合いになります。

私が「よし、竹細工で個展をやろう!」と決意した時、
最初に相談したのも彼でした。

そんな大親友との出会いは、
私が学校を卒業して最初に就職した、
「レストラン南山」という焼肉・ステーキチェーン店でした。

私は名古屋で面接を受けたのですが、
新人研修のため最初に送り込まれたのが京都。

これがまた、
今の時代なら確実に“ブラック企業認定”される環境(笑)

朝8時頃に喫茶店でモーニング。
9時過ぎ出社。
開店準備。
11時オープン。
閉店は夜11時。
寮に帰る頃には深夜0時。

そして翌朝またモーニング。

若いって怖いですね。
よく倒れなかった(笑)

でも、この「レストラン南山」、
ただの飲食チェーンではありませんでした。

会社は“従業員募集”ではなく、
「弟子募集」。

将来、自分の店を持ちたい人間を育てる。

調理、
接客、
仕入れ、
経営、
マネジメント……

全部叩き込んで、
最後は独立させる。

考えてみれば、
今、私が竹細工でやっている“弟子育成”そのもの。

人生って、ぐるっと回るものですね。

そんな頃、
九州から若い社員が転勤してくると聞きました。

「どんな奴が来るんだろう?」

と楽しみにしていたら、
現れたのが――

恵文さん。

なんと、
社長の次男坊。

しかも私より2歳下。

血液型B型。

少しはにかみ屋で、
どこか変わった雰囲気の男でした。

ところが、
なかなか話してくれない。

「あぁ、人見知りなのかな」

と思っていたら……

後から聞いてびっくり。

単純に、
私のことが嫌いだったらしい(笑)

彼は高校時代までサッカー一筋の硬派。

私はというと、
誰にでも話しかける軟派系。

特に可愛い女性には反応速度が速い。

そりゃ、
相性悪そうですよね(笑)

ところが不思議なものです。

名古屋地区には当時3店舗あり、
1年もすると、
私も彼もそれぞれ店長になっていました。

私は22歳、
彼は20歳。

なのに部下は、
人生経験豊富な年上のオッサンばかり。

まぁ、
言うことを聞いてくれない(笑)

私も壁にぶつかりまくっていました。

その頃、必死に読んでいたのが、
デール・カーネギーの『道は開ける』や『人を動かす』。

若い店長なりに、
「どうやったら人が動いてくれるんだ……」
と悩んでいたわけです。

そして、
きっと同じ壁にぶつかっているであろう恵文さんと、
自然と話すようになりました。

閉店後、
二人で飲みに行く。

そして深夜まで語る。

当時は今ほど飲酒運転に厳しくない時代。

恵文さんの50ccスクーターに、
酔っ払い二人乗り。

深夜の街を走り回る。

時には陸橋まで突っ走る。

……よく捕まらなかったものです(笑)

若気の至りというか、
青春の叫びというか。

その後、
私は九州へ転勤。

さらに29歳で会社を辞め、
大分で竹細工の道へ。

しばらく疎遠になりましたが、
気づけばまた連絡を取り合うようになり、
会えば飲む。

京都へ行けば、
恵文さんの店で飲み明かす。

そして泊まる。

どこに?

店の座敷(笑)

座布団を集めて布団代わり。

若さって素晴らしい。

今やったら確実に腰を壊します。

その後、
毎年京都伊勢丹の催事へ行くたび、
恵文さんとの飲み会が恒例化。

ますます付き合いは深くなっていきました。

そして面白いことに――

最初は、
彼が硬派で、
私が軟派。

ところが年月が経つにつれ、
なぜか立場が逆転(笑)

人生、本当に分かりません。

今回は“出会い編”ですが、
きっとこれからも、
ブログのあちこちに恵文さんは登場すると思います。

それくらい、
私の人生には欠かせない友なのです。

恵文さんとお姉さんの貞愛さんと

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