私が暮らしているのは、大分県宇佐市安心院町萱籠(かやごもり)。標高530メートル、山に抱かれた小さな集落です。
実はこの安心院という土地、名前の響きとは裏腹に、なかなか波乱万丈な歴史を持っています。
中世には、宇佐神宮の大宮司一族から分かれた安心院氏がこの地を治め、龍王山の頂に竜王城を築きました。以来、およそ280年もの間、安心院盆地の政治と軍事の中心として栄えます。
ところが戦国時代になると、大内氏、大友氏、島津氏という大勢力の狭間で翻弄されることに。耳川の戦いで大友宗麟が敗れると、当主・安心院公正は離反を図りますが、1582年に竜王城は落城。一族は滅亡し、幼い千代松丸まで命を落とすという悲しい結末を迎えました。
その後は細川氏が入部し、城下町が整備されましたが、一国一城令によって竜王城も廃城となりました。今でも龍王山には石垣が残り、往時の面影を静かに伝えています。
さて、「安心院」という地名は、かつて湖だったこの地に葦が茂っていたことから「芦生院(あしぶいん)」と呼ばれ、それが後に縁起の良い文字を当てて「安心院」になったという説が有力だそうです。
そして私の住む「萱籠」。
ここは昔、豊前と豊後の国境で、山深く萱が生い茂る土地だったことから名付けられたと言われています。
そんな由緒ある土地に私がやって来たのは、竹細工とはまったく縁のない頃のこと。
当時の夢は、田舎で暮らしながら自給自足に近い農業をすることでした。
ところが田舎の土地探しは、都会のように「はい、お金払います。契約します。」というわけにはいきません。
まず必要なのは、不動産屋さんではなく「紹介者」。
政治家だったり、先生だったり、区長さんだったり。
私の場合は、お寺の住職さんでした。
「檀家さんに聞いてみようか」
そんな一言から始まり、紹介された集落へ何度も通い、祭りに顔を出し、草刈りにも参加し、世間話を重ねるうちに、少しずつ村の人たちとつながりができました。
そしてようやく、
「まあ、この人なら入ってきてもよかろう」
という、目には見えない入村許可証をいただいたのです。
考えてみれば当然です。
大金を持った人よりも、変なよそ者が来て村の秩序をかき回す方が困るのですから。
私が入植した頃、この集落は十軒ほど。
分校もまだありました。
今は子どもがいなくなり、校舎は静かに役目を終えています。
農家になるつもりで山奥へやって来たはずなのに、気がつけば私は竹細工職人になっていました。
そして、ある日ふと思ったのです。

萱籠(かやごもり)――萱の茂る籠の里。
いや待て。
もしかすると、
安心院(あじむ)で、安心して、萱(いや今は竹ですが)を編んで籠を作る。
私は最初から、この地名に導かれていたのかもしれません。
農業を夢見て移り住み、竹を割り、籠を編み、山の暮らしを続ける日々。
地名というものは案外、人の行く末をこっそり教えてくれているのかもしれません。
もっとも、そのことに気づくまで二十数年かかりましたけれど。
地名の神様というのは、ずいぶん気の長い案内人のようです。


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